2010年11月11日木曜日

勝川春英の奇行

"翁、本性すなほにて、飾ることをいとひて、いづこへもみぐるしけの服のまゝにて出ぬ。かくてはみぐるし、かさねてはうるはしき衣きて来給へと、あそびがいふをきゝて、後の日、又かしこに至りぬ。出あへるものゝうちたふれて笑ふ事かぎりなし。翁、さるがくの女の装束、ことにきら/\しきをうちきて、まめだちをりて、みづからはをかしとおもはぬけにてぞ有ける。ある時、日ころを過して家にかへりきて、とのかたに立ゐて、いかに春英のやどりはこれかと、たかやかにいふを、妻おどろきて戸ひきあけていれつ、なにとていまのほど、きは/\しくのたまへる、といへば、日をへて帰りきたれば、もし此家の、あだし人の物にやなりぬらん、さては案内せではあしからんと思ひて、さはいひたるなりというべき、すべて翁のしはざ、顧長康の風ありと、みな人はいひけり。"

浮世絵文献資料館『増補浮世絵類考』(ケンブリッジ本)(斎藤月岑編・天保十五年(1844)序)

2010年11月5日金曜日

河鍋暁斎[岩波文庫] ジョサイア・コンドル 著/山口静一 訳

"多くの親日家はフェノロサやハーンのように過去の日本文化を愛惜し憧憬したが、コンドルは現代に生き続ける伝統文化をこよなく愛した人であった。"

"暁斎が息を引き取ったのは二六日午後六時一五分。享年五八。飯島虚心著『河鍋暁斎翁伝』は暁斎の臨終を如実に伝えている。病床にはコンドル始め大勢の門弟たちが集まっていた。・・・・・・翁の将に死せんとするや、門人昆徳爾(コンドル)氏、鹿島暁雨氏等、来たりて其の言わんと欲する所を問う。翁は口既に言うこと能わず。唯合掌して後事を托するものの如し。よりて声を挙げ、固く諾せりと言う。其の気息の将に絶えなんとする時、彫刻家石川光明氏来たれり。同氏亦後事を問う。翁、又合掌して一子記六氏のことを托するものの如し。同氏答えて固く諾せりと言いしかば、翁は欣然安堵の体を示し、昆徳爾氏の手を握りて死せり。昆徳爾氏先ず泣く。左右座せる者、皆泣かざるなし・・・・・・。"

「コンドルの日本研究-訳者解説に代えて」

Paintings and Studies by Kawanabe Kyosai by Josiah Conder