2012年1月25日水曜日

放射線理由、米の70点展示なし 6月に県立美術館「ベン・シャーン展」

放射線理由、米の70点展示なし 6月に県立美術館「ベン・シャーン展」  - 東日本大震災|福島民報 2012年1月25日


" 神奈川、愛知、岡山を巡回した後、6月から福島市の県立美術館で開かれる「ベン・シャーン展」の作品約500点のうち、米国の美術館七館が貸し出した約70点が県立美術館では展示されないことが24日、分かった。東京電力福島第一原発事故による放射線の影響を心配した米国側が本県での公開を渋り、県立美術館は展示を断念した。

ベン・シャーンは帝政ロシア領生まれの米国の芸術家。県立美術館はシャーンの作品収集に努めており、米国の水爆実験で被ばくした「第五福竜丸」をテーマにした「ラッキードラゴン」などを所蔵している。神奈川県立近代、名古屋市、岡山県立の各美術館と連携して展覧会を企画した。

開催は震災前に決まっていたが、原発事故後、米国の美術館の一館が本県での展示を拒否し、他の館も「開催直前に判断する」との考えを示した。県立美術館は放射線量の測定結果を伝えるなどして理解を得ようとしたが進展がなかった。

ハーバード大付属フォッグ美術館やニューヨーク近代美術館などの所蔵作品が本県では見ることができない。県立美術館は代わりに作品の写真パネル展示など、対応策を検討している。

県立美術館が公表している館内の放射線量(昨年12月27日測定)は玄関が毎時0・14マイクロシーベルト、一階の企画展示室が0・06~0・08マイクロシーベルト。県立美術館での開催は6月3日から7月16日まで。"


ベン・シャーン クロスメディア・アーティスト (展覧会公式HP)

※2012年1月25日現在、上記の件についての発表なし。


[シンポジウム]
「ベン・シャーンと日本・アメリカ」
発表者: ミリアム・ステュワート(ハーバード美術館学芸員)
ロジャー・パルバース(演出家・劇作家)
荒木康子(福島県立美術館学芸員) ほか
12 月 3 日(土)   13:30~
神奈川県立近代美術館 葉山 講堂
聴講無料(要申込、先着順受付)
12 月 4 日(日)   13:30~
東京ミッドタウン・デザインハブ(インターナショナル・デザイン・リエゾンセンター)
聴講無料(要申込、先着順受付)
プログラム内容、定員、申込方法等、詳細は本展情報サイトをご覧ください。
後援: 社団法人日本グラフィックデザ゗ナー協会
協力: 公益財団法人日本デザイン振興会
助成: ポーラ美術振興財団





Lucky Dragon / Ben Shahn (Fukushima Prefectural Museum of Art)

ラッキードラゴン ベン・シャーン 福島県立美術館所蔵

“I AM A FISHERMAN AIKICHI KUBOYAMA BY NAME. ON THE FIRST OF MARCH 1954 OUR FISHING BOAT THE LUCKY DRAGON WANDERED UNDER AN ATOMIC CLOUD EIGHTY MILES FROM BIKINI. I AND MY FRIENDS WERE BURNED. WE DID NOT KNOW WHAT HAPPENED TO US. ON SEPTEMBER TWENTY THIRD OF THAT YEAR I DIED OF ATOMIC BURN.” (こちらのブログ記事のトラックバックを参照)

アメリカ7美術館、福島での所蔵作品展示を拒否 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) 2012年1月26日

" 県立美術館によると、展示が見送られたのは、ニューヨーク近代美術館などが所蔵する写真などの作品。原発事故後、アメリカの美術館3館が、県内での展示を拒否。ほかの美術館は「直前まで様子を見たい」「条件が変われば展示も検討する」などの意向を示していたが、開催時期が迫っていたため、昨年8月、展示を断念した。"


風知草:福島には届かない絵=山田孝男 - 毎日jp(毎日新聞) 2012年1月23日

" 不思議な皮肉だと思う。シャーンは核兵器に関心を示した画家だ。一方、福島県立美術館は20世紀アメリカの具象絵画の収集に努め、シャーンの作品を増やしてきた。その福島で本格的な「ベン・シャーン展」の準備が進んでいた折も折、核の平和利用施設が暴発してシャーンと福島を遠ざけた。"


" 図録や「芸術新潮」1月号にベン・シャーンの解説を書いている福島県立美術館の荒木康子学芸員(51)に「最も福島に来てほしかった作品は何か」と尋ねると、荒木は「解放」(1945年。ニューヨーク近代美術館蔵)を挙げた。"


The paintings that won't reach Fukushima - The Mainichi Daily News

” To me, this turn of events is strangely ironic. Shahn was an artist who displayed an interest in nuclear weapons. At the same time, the Fukushima Prefectural Museum of Art has been collecting 20th century American figurative art, and has expanded its collection of works by Shahn. Fukushima was prepared for a full-scale Ben Shahn exhibition, but following the explosions at the Fukushima No. 1 Nuclear Power Plant — a facility representing the peaceful use of nuclear power — valuable works have been kept away from Fukushima.”


「子どもの生活空間すべて除染を」研究者ら、水戸で講演

「子どもの生活空間すべて除染を」研究者ら、水戸で講演:茨城新聞ニュース 2012年1月19日

" 茨城原子力協議会が会員や市町村職員を対象に開催。高度情報科学技術研究機構会長の田中俊一氏と日本原子力研究開発機構福島環境安全センター長の石田順一郎氏が講演"

" 伊達市の除染アドバイザーを務める田中氏は・・・「経験から毎時0・5〜1マイクロシーベルトが合理的に除染できる限界。茨城県内ではホットスポットだけで十分」との考えを示した。"


2012年1月24日火曜日

甲冑着用備双六 歌川芳員

国立国会図書館のデジタル化資料 - 甲冑着用備双六
甲冑着用備双六 歌川芳員 1858年

振出し
褌 ふんどし 「なるほど/\こうくびへかけれバおちるきづけへなしだ しかしどこかちつときうくつなやうだ」
襯衣 したぎ 「あせぢばんがもつてこいだ ゆきがあんまりミぢッけへがこれでいひかしら これでよし/\」
衣帯 おび 「これもやつぱりもめんにかぎる 〆あんばいがしごく めう/\」
小袴 こばかま 「あんまりかたく〆てハせつねへ/\ はかまをはいたですこしまがよくなつた これでハちつといくさじミてきた」
足袋 たび 「かハたびハいゝが足がほてつてこまります もめんのさしたびがよさそうでござります しかしくつながハできあひにハあるめへねェ」
脚半 きやはん 「きやはんハすねあてのあいだにはくのだ これもゆるいほうがあんばいよしだ かたいとあしがいたミいります」
草鞋 わらんじ 「わらじハめうがあさがいゝとおしへにまかせてはくものゝやつぱりわらがごく上々 そめをくひもにすれハよし/\」
腨当 すねあて 「むすひめハしつかりと しめやうハゆるくするがいひ コレサあんまりゆるすぎてハいかぬ/\」
佩楯 はいだて 「はいたてとハしりのおもいやつにハできねへことだ へんじしてもすぐにハたてねへやつサ」
决拾 ゆがけ 「ゆがけハいづれたてわく?こざくら ちとまつかハににていやす しかしほうさうならゆかけハ上々」
臂罩 こて 「こて/\とハたんとあること こてハさくわんのだうぐ コレハからだへこてへるぜェ」
脇曳 わきびき 「れんしやくでせおふたやうだ おもしろくもねへしやれだ」
胴丸 どうまる 「きなれないとむづかしいものだ いそぎのときにハどうまるものか」
表帯 うハおび 「うハおびをしめてやう/\かたまつた これからまだ/\いくいろもある いそぐときにハまにあハねへ」
肩罩 そで 「そでじころをつけねへうちハぞうべうじミてきがきかねへ これでよし/\」
帯兩刀 りやうたうをたいす 「これでしつかりきまりました なるほどたいとうきまりがいゝ/\」
喉輪 のどわ 「のどハゝよだれかけとまぎらハしいが やくめ?のうちならしかたがねへ つけろ/\」
纒顱巻 はちまきをまとふ 「はちまきをあんまりかたくするとかへつてづつうはちまちた」
蒙頬當 ほうあてをかぶる 「しやんとまつすぐにかぶらないと ほうあてちがひだ」
戴頭盔 かぶとをいたゞく 「かつてかぶとのをゝしめろだが まづまへいわいに一ツしめませう しやん/\/\ おめてたうござります?」
背旗 さしもの 「さしものたけきものゝふがトしやれたらどうだろう」
挿鎗挟 やりばさミをさす 「やり/\ごくろうトいハれそうだ」
楯板 たてのいた 「のぞきハ四文だ おすな/\」
竹束 たけたば 「七月六日にうれのこつたやつだ チトきまりがわりい」
銕炮 てつばう 「てつはうハこのすごろくとおなしこと きつとあたると人のいふらん なんといゝうただろう」
一番鎗 いちばんやり 「ちかごろ一ばんやりもせんだいばでつかいますから おほきにやすッぼくなりやした」
母衣 ほろ 「ほろをふくらがそうとおもつて かぜにむかひ一生けんめいかけだしたら ついてきぢんをいきすぎました めんぼくない/\ しなびました」
狼煙 のろし
一番乗 いちばんのり 「うぢ川のせんぢん さゝきの四郎たかつなとなのりたくなるやつさ ついおのれのなをわすれてしまつた なんとかいつたつけ」
弓箭 ゆミや
熊手 くまで 「よくばつてゐるやうだが かきこむにハいゝだうぐだ」
一騎 いつき
長刀 なぎなた 「あぶねへぞ/\よるな/\さわるといれるぞ ありや/\/\」
首帳 くびちやう 「まことひまでござります めでたい/\ちをぬらずしていくさハかち/\ぢきまくがしまつたハエ」
軍師 ぐんし 「こうしてゐる形ハうらないしやのやうだが これでもこんどハたれが上ルこのつぎハたれが上リといふことハそらんじておりますハ」
革鎧 かハぐそく 「かハぐそくハきがきかねヘやうだが きこなした形がいゝからかるいハ/\かろきミにこそたのミハあれと わかにもありやす」
大鎧 おほよろゐ 「大よろゐとハ チトおもひつきがわりい やれ/\おもい/\」
驛路鈴 えきろのすゞ 「たかまがはらにかミとゞまりますトいふやうだ」
軍配 ぐんばい 「にィしつるかめ/\ひがし宝来山/\ ヨ のこつた/\/\」
陣羽織
嗾?配 ざいはい 「かゝれ/\ありやァ/\/\ト いへ/\」
上リ 勝戦歸陣





2012年1月8日日曜日

"尚紅蓮" で検索

グレン・ショー「言葉テンヤワンヤ」: うわづら文庫@ココログ

うわづら文庫さんのグレン・ショーの短文(pdf)が面白かったので、現時点で "尚紅蓮" で検索してわかることをメモ。

ショー とは - コトバンク

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

ショー Shaw, Glenn W.

1886-1961 アメリカの日本文学研究家。
1886年11月19日生まれ。大正2年(1913)来日。大阪外国語学校などで英語をおしえ,戦後はアメリカ大使館文化担当官。戦争中をのぞき在日36年。その間,尚紅蓮(しょう-ぐれん)の名で俳句をつくり(句集「蟹水仙」),「出家とその弟子」「藤十郎の恋」「羅生門」などを翻訳した。1961年8月26日死去。74歳。ロサンゼルス出身。コロラド大卒。
【格言など】京のセミ幾億匹の暑さかな

『戦前期『週刊朝日』総目次』から - 神保町系オタオタ日記

(里見弴の著作)

昭和6年7月12日~11月8日 (英訳・尚紅蓮)「安城家の兄弟」

昭和7年4月17日 (英訳・尚紅蓮)「夜桜」

古書の森日記 by Hisako:KIKUCHI KWAN『TOJURO'S LOVE AND FOUR OTHER PLAYS』(1925) - livedoor Blog(ブログ)

訳者はGLENN W.SHAW。収録されているのは、タイトルの「藤十郎の恋」をはじめ「奇蹟」「敵討以上」「父帰る」「屋上の狂人」である。

写真でわかるように、かなり傷んでいてしみがついているため300円。口絵や挿絵は1枚もついていない。菊池寛のいい読者というわけでもないのだが、つい買ってしまった。日本人の名前の表記を姓名の順にするのか、ひっくり返して名前を先にするのかで、よく意見が分かれるが、この本は、表紙も中のとびらも「KIKUCHI KWAN」となっている。翻訳者のグレン・W・ショーの方針だったのだろうか。

グレン・W・ショーという人については、自序以外の情報は見つけられなかったが、大阪と山口の高校で英語を教えていたように思われる。国会図書館で検索してみると、倉田百三の『出家とその弟子』などいくつか日本の戯曲の英訳書を出しているほか、『OSAKA SKETCHES』という著書もあるらしい。

e-短冊.com / グレン ショー / 俳句

村山の上野上にも朝日出る 尚紅蓮

作者プロフィール

グレン ショー
(ぐれん しょー)
カナダの宣教師。トロント出身。トリニティー大卒。明治6年(1873)イギリス海外福音伝道会から派遣されて来日。聖アンデレ教会をつくり日本聖公会の指導者の育成にあたる。軽井沢を避暑地として開発、紹介した。明治35年(1902)歿、56才。

※プロフィールは「Shaw, Alexander Croft」のもの。コトバンクでプロフを探して私も勘違いしかけた。俳句の出所も怪しいかもしれない。

倉田百三

2.百三作品の英訳3点
(1) Shaw, Glenn W.  The Priest and His Disciples(『出家とその弟子』)
The Hokuseido Press, 1922.

日本は東洋西洋の興味ある焦点の一つである。この民族に何も心配はいらない。西洋の多くの影響の下にも、私は日本人が昔からの美へのあこがれをかたくまもっている姿を何度か目にしている。
自動車の渦巻く中を菊車   尚 紅蓮
グレン・ショー「西洋と東洋の興味ある焦点」
『日本人の道徳的心性』(1955)

ピアストーン:BLOG 〜維一郎の随筆〜: 野菜随筆二(西瓜)

(1955年の随筆らしい)

少し後の頃、神戸高商にグレン・ショウ(尚紅蓮)という人があって(今も健在でラジオなどに出る)週刊朝日に英語の短文を連載していた。中学上級生の勉強的読物だったが、それは随筆みたいな内容のものだった。「日本人は、西瓜を三日月型に切って、それにかぶりついて食う。(西洋人はどうして食うか今以て私は知らない)美しく化粧した日本の娘さんが、あれをやっているのを見ると――」と、ショウ氏が書いていたように思う。そして大阪の道頓堀の夜景を叙し「三日月型の内側をえぐった“西瓜の皮”が沢山流れている」と述べてあった。私は「ははあ“西瓜の皮の流れけり”だな」と思った。

A GUIDE BOOK to OSAKA ~国際観光都市 OSAKA~

6 Osaka sketches 浪華の足
Hokuseido Press 1929(昭和4)年 (221.3-1300)
冒頭に“City of Water”“City of Bridges”“City of Smoke”“Japan's Kitchen” “Industrial and Commercial Capital of Japan”と書かれており、大大阪時代の街の様子を写真や近世の『浪華の賑わい』なども引用して紹介しています。
著者のGlenn W Shaw はロスアンジェルス生まれのアメリカ人で大阪高等商業・市岡中学・今宮中学で英語を教えた教育者。日本文学の翻訳にも携わりました。戦後もアメリカ大使館に勤めた親日派で“Osaka sketches 浪華の足”の表紙では「尚 紅蓮」とも名乗っています。

Shaw, Glenn W. - Webcat Plus

大日本魚類画集 大野麥風著 西宮書院 1937.8-1940.9
羅生門 : 英和対照 芥川竜之介著 ; グレン・ショウ訳 原書房 1971
本日休診 井伏鱒二著 ; E.サイデンステッカー, グレン・ショウ訳 原書房 1971.3
本日休診 井伏鱒二著 ; E.サイデンステッカー, グレン・ショウ訳 原書房 1964.9
Shin Wiro by Glenn W. Shaw and Jiro Nagura Jūōsha, 1922
Clouds and Climate Change Glenn E. Shaw University Science Books, c1996
Short stories by R. Akutagawa Translated by Glenn W. Shaw Hokuseido Press, 1974, 1930
The priest and his disciples : a play by Kurata Hyakuzo ; translated from the Japanese by Glenn W. Shaw Hokuseido, 1969
Three plays by Yamamoto Yūzō ; translated from the Japanese by Glenn W. Shaw Hokuseido, 1957

2006-05-06 - 日本語関係の目次・索引など - 索引グループ

 『言語生活』第54号 昭和31.3 特集・試験時代
国立国語研究所監修
筑摩書房発行
定価 70円

言葉テンヤワンヤ 尚紅蓮(グレン・ショー)

里見弴・詳細年譜:猫を償うに猫をもってせよ

・12日~11月8日(英訳・尚紅蓮)「安城家の兄弟」『週刊朝日』

・17日(英訳・尚紅蓮)「夜桜」

戦前期週刊誌メディアの受容形態 ― その大衆性と戦争加担との関係に着目して(pdf)

また,広告だけでなく,創刊当初の『週刊朝日』と『サンデー毎日』にはグレン・ショウ(尚紅蓮)の英文小説(「浪華の足」『週刊朝日』1924 年 6 月 29 日号掲載)や英文の記事(「有島武郎氏の死(英文)」『サンデー毎日』1923 年 7 月 22 日号掲載)等も記事も掲載されており,これらのことも,両誌が実際にどのような読者層をターゲットとしていたかを不明瞭にしている.

表 8­2 からは,掲載総数は多いが,日中戦争を境に執筆数が大きく異なる人物がいることが分
かる.最も執筆数の多いグレン・ショウ(尚紅蓮)は,大正末期より英文小説を『週刊朝日』に多
数執筆しているが,1930 年代に入ると掲載記事はなくなり,『週刊朝日』誌上からも英文小説や
英文欄がなくなっている.6 章 6.4 女性関連記事のところでも触れたが,英文記事や英文広告,
英文小説を読める読者層は恐らく知識階級に限られていると考えられるため,英文小説が 1930
年代にはほぼ掲載されなくなったことからも,『週刊朝日』が誌面の「大衆化」を図った様子がう
かがえる.

                                           頁 巻号
26072 碧眼鏡(英文) 尚紅蓮 16 22-18, 1932(昭和7)年10月16日号 小説
26106 碧眼鏡(英文) 尚紅蓮 16 22-19, 1932(昭和7)年10月23日号 小説
26164 碧眼鏡(英文) 尚紅蓮 30 22-20, 1932(昭和7)年10月30日号 小説
26195 米利堅土産 尚紅蓮 12 22-21, 1932(昭和7)年11月1日号 娯楽
26196 碧眼鏡(英文) 尚紅蓮 14 22-21, 1932(昭和7)年11月1日号 小説
26237 碧眼鏡(英文) 尚紅蓮 16 22-22, 1932(昭和7)年11月6日号 小説
26256 米利堅土産 尚紅蓮 28 22-22, 1932(昭和7)年11月6日号 娯楽
26288 翠眼鏡(英文) 尚紅蓮 16 22-23, 1932(昭和7)年11月13日号 小説
26299 米利堅土産 尚紅蓮 34 22-23, 1932(昭和7)年11月13日号 娯楽
26329 翠眼鏡(英文) 尚紅蓮 16 22-24, 1932(昭和7)年11月20日号 小説
26369 翠眼鏡(英文) 尚紅蓮 18 22-26, 1932(昭和7)年12月4日号 小説
26407 翠眼鏡(英文) 尚紅蓮 7 22-27, 1932(昭和7)年12月11日号 小説
26451 碧眼鏡(英文) 尚紅蓮 11 22-28, 1932(昭和7)年12月18日号 小説

以上